独自の占術と前世探査、折り紙みによる開運

☆☆☆ 現存の占いや開運風水を打ち破る画期的開運占法を公開 ☆☆☆

「よく当たる」、「生きる希望が持てた」、「今後の生き方の指針になる」等々、全国から感謝の声が届いています。現在、何らかの問題をかかえて出口の見つからない方、また度重なる不運に喘いでいる本人にとって、いつ悩みから解き放たれるのか、いつまでこの苦労が続くのか知りたいところです。そうした切羽詰った状況でなくても、ご自分や家族の運勢や好・不調の時期が事前に知ることができれば、身の処し方もあり、心の準備や手の打ちようもあるというものです。よく昔から「運が七分に努力が三分」と言いますが、実は「天の時、地の利、人の和」を知らずに、ただ、がむしゃらに努力しただけでは、なかなか実を結ぶ確立は低いのです。
同じ生年月日に生まれても、死ぬまで同じ人生を歩み、死ぬときも一緒、といった人生を辿ることはあり得ません。毎日、同じ日に全国各地で新生児が誕生しますが、それぞれの家庭環境、例えば、その子が生まれる前の夫婦の状態や生活状況がどんなであったか、また、夫が日頃から暴力を振るっているとか、酒癖が悪いとか、浮気癖があるとか、外に愛人を囲っているとかが大きく左右します。夫婦の絆が強いほど生まれてくる子は良い運命遺伝子を宿し、良い人生を歩むことができますが、いざこざが絶えず、いつも夫婦喧嘩ばかりしていると、生まれてくる子の運命遺伝子に反映されてしまい、親と似たような道を歩むことになるのです。
気をつけなければならないのが、夫が酒を飲んで帰った夜に酔った勢いでSEXをすると、その時に受胎して生まれた子の場合は、アルコールのために運命因子が犯されていますので、脳や体に何らかの障害を持つことになり、精神に異常をきたすケースが多くなります。全部が全部とは言いませんが、現在、子供が何らかの障害を抱えていたり、子供による家庭内暴力や非行の繰り返しなどで悩んでいる場合は、その子が受胎した時の夫婦の関係や生活態度、胎教のあり方等に問題があったことは否めません。そうした中で生まれて無事に育ったとして成長するに従い、何かと問題を起こしやすく、悪くすると人や動物を殺傷したり、放火魔になる傾向を内包している人間となります。近年、青少年による凶悪な犯罪が激増しておりますが、昔と違い、犯罪を起こす青少年の容貌は他の青少年とほとんど変わることなく、本人を知る知人や近所の人たちは、「あんな真面目でおとなしい人が・・・・、ちょっと信じられない」と語っていますが、案に相違して、家庭内では家族に暴力を日常的に振るっていることが多いものです。ですから、酒に酔って帰った日や、妻を暴力で無理やりねじ伏せてSEXすることは絶対に避けなければなりません。
表現は適切ではないかも知れませんが、人は精子の段階から「生か死か」の過酷な競争を強いられています。考えてみてください。卵子はたった一つの精子しか受け入れないのです。射精の瞬間から一斉に数億の精子が卵子を目指して向かうのです。そうして卵子に辿りついても、その中のたった一つの精子のみが入室を許され、受胎を果たすのですから、まさに生存競争の最たるものと言えます。大事なのは、受胎から出生までの親の生活態度や家庭環境です。胎教がきちんとできていれば、よい子を授かり、無事に成長してあまり波風のない人生を歩むことができますが、母親が胎教を疎かにしたり、子供嫌いだと、無事に生まれてきても良い人生は期待できません。

ここで私自身のことについてちょっと触れておきましょう。私は30年近くも前に運命占術に興味を持ち、占いの入門書などを買い漁り寝るのも惜しいぐらいに熱中していました。ダンプカーの運転手をしていましたが、後にセールスマンに転向。その後、事情があって会社を辞め、またまた職探しが始まったのですが、ある日、新聞の求人欄に目を通していると、広告看板の会社が「出版部を新設、スタッフを募集!」と載っていたので、ダメでもともとの気持ちで応募したのですが、多くの応募者があったにも関わらず、採用されたのです。しかも、編集のへの字も知らない私にいきなり編集長を任命されたのです。驚天動地とはまさにこのこと。イラストレーターやカメラ担当の者、広告取りの営業社員など総勢7名でスタートしたのですが、試行錯誤の末、その2ヵ月後に何とか発刊できるようになったのです。しかも、姉妹版として無料配布の「ディスカバー五日市」とか「ディスカバー祇園」など全部で8つの町のタウン情報姉妹紙も制作。目の回るような忙しさでした。本誌は会員制ですが、姉妹紙の方は社員総出のポスティングで配布。「ひろしまステーション」の方は木製のボックスを12個ほど発注し、広島ステーションビルの屋上から地下まで設置し、広島駅を利用する人々に自由に抜き取ってもらうやり方でした。
さて、趣味での占いを研究しているのを幸いに、本誌をはじめ、姉妹紙8紙にも編集長権限で占いのページを設けて、「今月のあなたの運勢」を執筆掲載。そして「通信鑑定にも応じます」と載せましたので、広島駅を利用した県外の乗降客からも通信鑑定の依頼が舞い込み。毎日夜遅くまで一人編集長室にこっもってタウン誌の原稿や鑑定依頼の作成に追われたものです。尚、ペンネームの「パール・やまぐち」については、ドイツの楽団の指揮者の記事を書いている時に思いついたもので、パール・マイゼン氏のパールを借用したという訳です。
このディスカバーひろしまでは、私自身も近隣の観光地や穴場などを廻ったり、広来した歌手やタレントなどを取材したりしましたし、本誌を盛り立てるために、本誌と姉妹紙全部に映画の割引券刷り込みの交渉をしたり、レコード会社の支店や営業所に読者プレゼントなどの交渉もしたりで一人で何役もこなしていましたが、タバコ2箱とコーヒーはブラック7杯を欠かしませんでしたから覿面に胃潰瘍になり、あえなくダウンし治療のため退職せざるを得ませんでした。こんなこともありました。退職直前のことですが、広島テレビの奥様向けの情報チャンネルへの出演依頼があったのです。社長は自分はテレビに貌を出したくないので、編集長の君が出るように」と言われたのです。スタッフの一同は皆、「いつかは中央に踊り出てアンアンかノンノンのような一流の雑誌を発行することが夢でしたが、胃潰瘍で私が倒れたばかりに遠大な夢も儚く消えたのでした。何しろ、本誌の文章や広告のコピーは姉妹紙も含め、ほとんどを私が書いていましたので、私の退職後は誰も原稿を書く人間がおらず、私の退職間もなく廃刊してしまいました。
それからのことですが、胃潰瘍がどうにか治癒して、再び職探しに奔走。その最中に、求人広告で「広島産経ビルの竣工に伴い支局員を中途採用」の文字が飛び込んできて、早速応募。この時も到底自分のような者が採用されることはないだろうが、どんなところであろうと応募しなければはじまらない」と、考えて臨んだのですが、書類選考をパスし、面接でもパスできたのです。採用枠はたったの2名でしたので、間違って選ばれたのではないかと 疑ったほどです。後で知りましたが、50通以上の応募者があり、その中から書類選考で10数名の面接をしたそうです。聞くところによると、会社上層部では「学歴も低く、おまけに職歴の欄が埋まって裏のページにまで書き込んである。しかも母子家庭の一人っ子! 何故、書類選考でよく目を通さなかったのか、応募してきた履歴書を見ると他にいいのが何人かいるじゃないか、こんな人物を採ること自体、社のイメージが下がってしまう」と、問題になったそうですが、上層部の言うことも当然でしょう。多くは採用に反対だったそうですが、面接担当者のみが、「この人間の職歴の多さには驚くばかりだが、2,3の会社に確認してみると、履歴書に書かれていることに嘘はないようです。しかも、どの欄も詳しく記入してあり信用できそうです。学歴が低く、そのため相当苦労していたことが伺えます。いろいろな職を転々としているということは、それだけ知識も豊富で視野も広いでしょう。しかも、タウン誌の編集長まで経験していますので、きっと役に立つ人物になるのではないでしょうか」と、熱心に上層部を説得してくれたそうで、これを効いた時、目に見えない何かに導かれている想いでした。過去、幾度も死の危機に遭いながら、その都度、天佑が働いて間一髪のところで命拾いしているのですから、何者かに護られていると思わずにはいられません。
さて、こうして産経新聞グループの情報収集部門に入社でき、支局の一員として先輩に同行して取材のノウハウを教わったり、出版物の契約業務をしたりの多忙な日々に入りました。暫くして、自分で取材先を企画して飛び回るのですが、私の場合は、企業をはじめとして、陶芸家や画家、書道家、華道・茶道などの芸術分野や、官公庁の役人、大学の学長、図書館長、弁護士、警察署長、農協の組合長、郵便局長、右翼の政治結社、霊媒師・占い師など、いろいろな分野に手を広げて取材活動に従事しました。在籍10有余年にわたり取材対象者が1万名余りに上り、その数だけ名刺も集まりました。私はダンプカーの運転手をしていた時に早稲田式速記の通信講座で勉強していましたので、取材活動では私独自の筆法と、覚えた速記が大変た役立ち、取材先や周囲の人たちから好意的に見られていたものです。社会で活躍する様々な人物を取材でき、また、苦労話や悩みなどの身の上話を拝聴することもでき、私にとって産経での10有余年は、辛くもありましたが充実もしていました。取材した人物の中には、戦艦大和の設計に携わった三井造船の庭田尚三設計部長や、真珠湾攻撃の作戦を企画した源田実氏、奇人変人の部類に入る現代の宮本武蔵と自称する書道家、名刺の上に庭木の葉っぱを乗せてセンサーを当てれば本人の患っている症状や、死んだ親がどの星にいるかを告げる人物、有名な生物工学の会社で工学博士の研究所長の不思議な実体験の話(発明家で数々の物を考案し世に送り出している。また、死後の世界や前世・過去世についての造詣が深い)等々、思い出多き人物は数え切れませんし、大なり小なり私のその後の生き方や考え方にも、その人たちからの影響を受けています。

中でも広島大学歯学部のM名教授は、私にとって既に出会うことを約束づけられていたのではないかとさえ思えるのです。ある日、取材でお会いした折、雑談の中で運命学とか占術、死後の世界、霊界などを語られるのです。歯学部の名誉教授ともあろうお人の口から出る言葉とは思えません。が、いろいろお話を受けたまわっていますと、それらについて相当研究しておられ。「このお方は本物だ」と感じました。「私も占いが趣味の一つで、以前、タウン誌で占いコーナーを設けて、全国から届く通信鑑定にも応じていたんですよ」とお話したところ、すっかり気に入られて取材の合間に広大の教授の部屋を訪れて運命額や死後の世界、前世のことなどのお話を拝聴することができたのです。しかも、生まれてから今日に至る経過を簡単に話したところ、後日、鑑定書を頂き
目を通して見ると、出生から寿命が尽きるまでの生涯運がびっしり書き込まれているではありませんか。それまでの半生が年ごとに書かれており、歩んできた足跡はほとんど鑑定書に書いてある通りで、驚嘆したものです。これからみると私の占いのレベルの低さに赤面したものです。しかも、このM教授は毎週日曜日にご自宅で運命占術の教室まで開いて講義しておられたのですからビックリです。惜しくも先年お亡くなりになりましたが、この教授との出会いは、その後の私の生き方に大きな影響をもたらしたのでした。
教授は一方で、献体運動の推進者でもあり、医学の発展に献体が如何に重要であるかを懇々と説かれ、私も過去の行く度かの死の危機に直面しながら、不思議と間一髪のところで生かされていることや、その都度、死への恐怖が薄れていったこと、この世に生を享け、大地自然の恵みと口に入る肉や魚、野菜などの多くの犠牲、それに、国から市から、地域社会から生かされていることへのせめてものささやかな恩返しが出来ればとの思いで、教授の献体運動に参加させていただこうと、早速、広大白菊会の方へ赴き、献体の手続きを済ませたのです。時に昭和53年のことでした。献体とはご存知のように、医学生の解剖実習に供されてメスで切り刻まれるのですが、献体希望者が少なく、思うようには数が集まらないとの話でした。昔は、行き倒れや刑死人などを解剖していたそうですが、時代が進むにつれ、そういった人間もいなくなり、献体運動の重要性が高まってきたとか。以前は、ある所によっては、献体しても解剖後の肉片や遺骨は無造作にゴミ箱に捨てられていたことも少数ながらあったそうですが、現代ではどこの大学でも解剖実習を終えた後は鄭重に慰霊供養をしていると聞き安心しました。
以後、教授と出会ってからは本格的に運命学や深層心理学を研究することになり、数年ぶりに鑑定依頼にも応じるようになったのでした。いくつかを挙げますと、運命深層心理学、色彩診断、前世探査、胎教、性格計算テストなどを研究しています。その中の性格計算テストには、社会性診断と反社会性診断の二つがあります。そのうちの反社会性診断は、「放浪性、乱酔性、放蕩性、賭博性、詐欺性、窃盗性、脅迫性、暴行性、強盗性、自殺性、殺人性」の11項目を特殊な質問形式のテストで数値を計算していくのですが、これらの一つにでも引っかかる人は、本人の受胎から出生までの胎教や、出生時の家庭環境などに問題のあるケースがほとんどです。ちなみに社会性診断の項目を列挙しますと、「自主性、責任感、根気力、指導力、協調心、公徳心、情操心、自省心、同情心、公正心」の10項目です。ソンディ・テストによる運命分析も実施しておりますが、これは48枚の写真を用いて、本人の無意識の深層を流れている家系的な性格の傾向や現在のあり方を解明し、生き方の指針に役立てるもので、実験衝動診断法といわれるテストです。これとは別に、児童画による浅利式色彩診断法も研究していますが、他の心理テストよりも的確にその子の病気や症状、家庭環境が1枚の絵で読み取れる優れた診断法です。勿論、児童だけでなく大人の絵からでも現在の心理状態やいろいろなことが読み取れます。

ちょっと話が逸れてしまいましたが、「食が運をつくる」という言葉があるように、食べ物の好き嫌いも運に影響を与えます。また、友人・知人との関係に於いても影響を受けます。これらの要素が相まって性格が形づくられていきますので、生年月日のみで人の運勢を云々するのは間違いです。名前にしても同じことが言えます。「じゃー、生年月日と名前の両方で見れば間違いないだろう」と、思われるかも知れませんが、的確な判断をするにはこれでもダメなのです。正しい鑑定をするには、医者が患者から病気に至るまでの経緯や過去の病歴などを詳しく聞き取るように、運命鑑定の場合も、本人の生年月日時やその日の天候(両親が本人の出生当時の天候を覚えていればの話)、両親や兄弟のことや、場合によっては各々の生年月日、学歴、主だった職歴、特技や趣味の有無、家庭の状況、現在の悩み、夢、希望などをでき得る限り詳しく聞きだし、それらの情報をもとに、そこで初めて生年月日と名前に織り込められた運命因子を表出し分析していくのです。姓名の分析にしても両親の生年と母親の旧姓も加味して鑑定していきます。
人間、誰でもこの世に生まれる前に「次の生では、今度はこちらの試練を経験してみよう。こうした苦労もしてみよう。この課題にも挑戦してみるか。それと前世でやり残した分を完成させよう」と、守護天使と二人で作成した人生の問題集を生年月日に織り込んで生まれてくるのです。人は生まれ変わる度に魂を磨き、霊格を高めていく存在だからです。同時に、前世での悪しきカルマを次の生で清算する必要があり、同時に、また新たなカルマを作っていくことになります。さて、その次は後天的に作用する姓名の因子を分析してそれぞれの項目の数値を計算し、12項目に分割した円グラフを作成。それが済めば今度は、前世探査に入ります。前世・過去生から現世に受け継いできた気質や性格、才能、生き方などを詳しく表出していきます。そうしてこれらを総合的に鑑定して、幾つか表出され運命因子の凶作用を和らげ、また、凶を無にするために最後の「秘伝・折り紙によるダビデの星開運法」を実施するのです。このダビデの星の折り方は複雑で、ちょっとしたコツがあり、初めての方は覚えるまでに少し時間がかかるでしょう。このダビデの星は神社などでも見られますので、ご存知のことでしょう。また、イスラエルの国旗にもなっています。尚、この「折り紙によるダビデの星祈願法」は、人生の岐路に立った時や、生か死かの瀬戸際に追い込まれたときなどでないと、無闇に使用できません。これは白魔術と言われるもので、苦境を打開し、運命を良い方向に導く優れた祈願法ですが、金儲けのためや人を呪ったりすることに使うと、効果はありますが、そのための跳ね返りは恐ろしく、黒魔術に変わってしまい、本人自身の最期は悲惨なものになってしまいます。ですから、余程の問題を抱え身動きが取れない相談者に限って祈願法を指導しています。


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